この記事は、流産後の処置とそのあとの日々の記録です。医療処置の描写を含みます。読むのがつらいと感じる方は、どうか無理をなさらず、ここで閉じてください。
体外受精で授かった2回目の妊娠・妊娠11週での流産のあとの体験談です。処置の方法や痛みの感じ方は、病院や人によって違います。
▶ 前回のお話:流産した日|妊娠11週、赤ちゃんとお別れした夜の記録
見る勇気が出なかった、トレーの上の感覚
あらかじめ渡されてたトレーの上にキャッチした感覚がありました。
でも・・わたしは見る勇気がでませんでした。
見てしまったらきっと一生忘れられない映像として目に焼きつくだろう。
今、考えれば我が子なんだから、ちゃんと見てお別れを告げてあげられたらよかったかもしれない。
でも、それは「今」言えることで「その瞬間」はもう怖くてしょうがなかった。
とても、1人でその現実を直視することはできませんでした。
トイレでナースコールを押し、来た看護師さんにトレーを渡す。
その時に声かけがあったのかなかったのかも覚えていません。
ただ、トレーを受け取って歩いていく後ろ姿だけはぼんやり覚えてます。
麻酔なしの吸引処置
そこからどれくらい時間が経ったのか・・子宮に残留物があったら、感染をおこしたりして大変ということで吸引処置が行われました。
手術室ではなくあれはきっと処置室。
とても固い台の上に寝かされ、麻酔もなく行われ悶絶する痛みでした。
子を失い、こんな痛い目に遭い、わたしは何をしてるんだろう・・というか、なんでこんな目に遭わないといけないんだろう。
なかなか終わらない激痛の中、そんなことが頭をよぎり涙がとめどなく流れてきました。
「エコー写真があれば」——絨毛検査を受けることに
やっと処置も終わり心身ともにボロボロの中、担当してくれた医師が「不妊治療中のエコー写真とか持ってきてくれたら原因とかわかるかもしれない」と言ってくれたので、持参してたエコー写真を見てもらいました。
でも、結局、何で今回、流産に至ったのかわからないと言われました。
染色体異常や遺伝子疾患かどうかを調べる絨毛検査をすることはできる。
ただ、この検査も100%ではないと・・でも、どうしても原因が知りたかったのでお願いすることにしました。
栄養士さんも、同じ経験をしていた
夜が明けて、午前中には退院することになったので荷物をまとめていたら、前日きた栄養士さんがお部屋を訪ねてきました。
どうやら、連携されていなかったようでこの後の食事をどうするかの話をされました。
「流産したので・・」と言ったら、とても驚いた顔をされ、「わたしも過去に流産したことがあるので・・」と泣きながら話してくれました。
寄り添ってくれてとてもありがたかったのですが、わたしにはもう泣く気力もないくらい疲れ果てていました。
口を開くのもしんどいというか・・旦那以外の人と口をきくのが本当にきつかったんです。
「早く、家に帰りたい」
受付で退院の手続きと処置後の経過を見るために次回の予約をとって外に出ると、駐車場で旦那が待ってました。
(早く、家に帰りたい!)小走りで車に駆け寄り、急いでドアを開けて助手席に滑り込む。
旦那との会話はあまり覚えてませんが、ねぎらいと慰めの言葉をかけてくれた気がします。
お家に着いたら昨夜あまり寝てないのと心身ともに疲弊、家にいるという安堵感・・気のすむまで眠りたい。でも感情が昂ってなかなか寝付けない。
「もうこれ以上は頑張れない」
「もうこんな目に遭うのは嫌だ」
「11週まできて流産って何なの」
頭の中でずっとこんなことを考えていました。
数日後の水子供養で
数日経って、体がどうにか動くようになってから水子供養に行きました。
「来てくれてありがとう。またお腹に戻っておいでね」
もう、こんな目に遭いたくない、治療ももう頑張れないって思ってたはずなのに、手を合わせた時にはこんな言葉がすんなりでてきたことに自分が1番びっくりしました。
